昭和5年に丘球学(修禅寺38世)は、四国八十八ヶ所の霊場の土を、修善寺の桂谷(今の大字修善寺)
に移し、桂谷八十八ヶ所として弘法大師の像と札所本尊の梵字、名号を刻んだ石碑を建立した。
四国八十八ヶ所ハは、弘法大師が唐へ渡った折、天竺の僧般若三蔵より伝来する釈尊の霊蹟八塔の
土を四国に持ち帰り、これを八十八に分けて霊場を開いたものである。
それは巡礼の人々が、自ら八十八始の見惑を踏断し、業障報障を除き、離苦得楽の妙境に
至らせるための深意によるものとされている。
それ以来千百年、時代の変遷はあっても、霊場巡礼の信者は年々増加し、冥化得益の者は
数えきれないという。
しかし、四国霊場は広域に散在しているため、巡拝は容易ではない。
そこで、弘法大使が錫を留めた勝境桂谷ヘ、四国に擬して八十八ヶ所を建立することを発願した。
それは、この地が住民や浴客、信者など、大師の恩沢に浴し身心の利益を得るものが多いので、
この恩沢に報いるためとし、四国霊場巡拝にひとしい功徳を得るとしたものである。
現在では11月7日より9日までの3日間に、各地から集まったお遍路さんが、
約28qの山道を歩いて巡拝する。
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