源範頼の墓 (更新月:2004/06)
 所 在 地   伊豆市修善寺温泉場
 電  話   問い合わせ先
 伊豆市観光協会修善寺支部
 0558-72-2501
 駐 車 場   有料駐車場を御利用下さい。
 ト イ レ   ありません

 温泉場の西北側の山腹にある。
 範頼は鎌倉初期の武将。義朝の第六子で、蒲冠者と呼ばれた。
 治承4年(1180年)に兄頼朝と義仲が対立したとき、弟義経とともに義仲を倒し、
 次いで一ノ谷の合戦で平家を破り、功によって三河守に任じられた。
 その後頼朝と義経の仲が険悪化し、頼朝が範頼に義経を殺すよう命じたが、断ると、
 範頼も背くようになると疑われるようになった。
 建久4年(1193年)の曽我兄弟仇討ちのとき、鎌倉へは頼朝も殺されたと誤って伝えられ、
 悲しむ政子を慰さめて「範頼あるかぎりご安心下さい」といったことから、幕府横領の疑いを招いた。
 範頼は百方陳弁につとめたが、ついに修禅寺に幽閉され、さらに梶原景時に攻められて、
 日枝神社下にあった信功院で自刃したと伝えられている。



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