温泉場の西北側の山腹にある。
範頼は鎌倉初期の武将。義朝の第六子で、蒲冠者と呼ばれた。
治承4年(1180年)に兄頼朝と義仲が対立したとき、弟義経とともに義仲を倒し、
次いで一ノ谷の合戦で平家を破り、功によって三河守に任じられた。
その後頼朝と義経の仲が険悪化し、頼朝が範頼に義経を殺すよう命じたが、断ると、
範頼も背くようになると疑われるようになった。
建久4年(1193年)の曽我兄弟仇討ちのとき、鎌倉へは頼朝も殺されたと誤って伝えられ、
悲しむ政子を慰さめて「範頼あるかぎりご安心下さい」といったことから、幕府横領の疑いを招いた。
範頼は百方陳弁につとめたが、ついに修禅寺に幽閉され、さらに梶原景時に攻められて、
日枝神社下にあった信功院で自刃したと伝えられている。
|