修禅寺に対面した鹿山の麓にある。
修善寺温泉で暗殺された源頼家の冥福を祈って、母政子が指月殿、宋版大蔵経、
釈迦三尊繍仏などを修禅寺に寄進したものである。 このとき門前の虎溪橋も架け替えたという。
指月とは経典を意味し、禅家が愛用している不立文字を解く言葉である。
大蔵経は仏教典籍の叢書という意味で、5〜6千巻にも及ぶものであるが、
政子寄進として現存する大蔵経は、大半が散失し僅か8巻しか残っていない。
そのうち、放光般若波羅密多経の第23巻が静岡県指定文化財となっていて、
終わりに「為征夷大将軍左金吾督源頼家菩提、尼置之」という政子の墨書がある。(修禅寺宝物館蔵)
指月殿の中央に禅宗式という珍しい形の丈六釈迦如来像が安置されているが、
持物のないはずの釈迦像が右手に蓮の花を持っているのが特徴である。
指月殿の篇額の実物は、宋の名僧一山一寧の書といわれ、修禅寺本堂に掛けられている。
同僧は正執権北条貞時に間牒の疑いをかけられ、正安元年(1299年)に修禅寺に幽閉されている。
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